ベンジャロン焼って、なぜ貴重なの?
タイの三大陶磁器の一つといわれるベンジャロン焼。その色彩の鮮やかさ、精緻な模様の美しさに魅了される人も多いのではないでしょうか。ベンジャロン焼の格調高い風合は、大切な人への贈り物として、また、お客様をおもてなしする器としてタイ国内外の人々に愛されています。さらに、現在実際に使われている器だけでなく、博物館の展示ケースの中でも、王族や貴族が大事に守り継いできたベンジャロン焼を目にすることがあるでしょう。そうした骨董は今のものとは色も模様もかなり違いますが、ベンジャロンとはどのように生まれ、変遷してきたものなのでしょうか。
ベンジャロンの歴史
最初のベンジャロン焼はアユタヤー王朝時代(1351〜1767)の17世紀前後に遡るといわれています。当時、アユタヤー王国では、諸国との交易が盛んに行われていました。中国から輸入した陶磁器も珍重されていましたが、のちに、王家ではタイらしい絵柄の器を求め、注文を付けて作らせるようになります。白い磁器に光沢のある釉薬をほどこし、タイと中国の文化を融合させた様式の絵付けをした器は、王侯貴族たちの間で瞬く間に人気を博しました。
アユタヤー王朝の黄金期ともいえるナーラーイ王(在位1656〜1688)の時代は、ベンジャロン焼の文化が発展した頃でもありました。この時代に生まれた数々の模様は現在にも受け継がれています。たとえば、天人の絵が描かれたテープパノムノーラシン模様、幾何学模様のプラチャムヤーム模様、菊の絵柄模様などです。器の内側は、ターコイズブルーに彩色するのが一般的でした。
その後、ラッタナコーシン王朝時代(1782〜現在)に入ると、豪華絢爛な金彩がほどこされるようになりました。当初は製造を中国に発注していたベンジャロン焼ですが、この頃から王室が職人を中国に派遣し、技術を持ち帰るようになります。ラーマ4世時代(在位1851〜1868)には、国王を象徴する神鳥ガルダが蛇神ナーガを掴んだ姿のクルットユットナーク模様や、薔薇の絵柄に金の縁取りのあるクラープナムトーン模様など、特徴的で煌びやかな模様も生まれました。続くラーマ5世時代(在位1868〜1910)にはタイ全土の各地にベンジャロン工房が置かれ、隆盛を極めていきます。現在、タイ文化の一つとして世界に名を馳せるベンジャロン焼は、このような幾世代もの王家による歴史があったのです。
ベンジャロンの意味
初期のベンジャロン焼は3色など色の少ないものでしたが、のち、黒・白・黄・赤・緑(または藍)の5色が使われるようになり、サンスクリットで「五彩」を意味する「ベンジャロン」という名が付けられました。現在のベンジャロン焼はさらに色彩が増し、30色以上もの釉薬が使用されています。
ベンジャロンをもっと知るには
サムットソンクラーム県アムパワー郡にあるピンスワン・ベンジャロンという工房が有名です。ここでは、一つ一つ筆で手描きしていく絵付け作業の見学ができる他、展示品も多く、オーダーメイドもできるんです。注文してから何か月も待たないとならないですが、職人さんの手で丁寧に仕上げられた器が家に一つあったら素敵ですね。他に、サムットサーコーン県のドーンカイディー・ベンジャロン学習センターでも製造工程や展示品の見学ができます。製品はOTOP(一村一品)の5つ星にランクされており、タイの誇る素晴らしい技術だということがわかります。どちらもバンコクから日帰りできますので、工芸品にご興味のある方はぜひ訪れてみてください。
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