2024.03.19タイの文化

タイの国章「ガルダ」には、どんな意味があるの?

タイの国章には、神鳥ガルダが描かれています。この国章は公文書に必ず刻印されています。また、ガルダの絵や彫刻は、エメラルド寺院や紙幣などさまざまなところで目にしますね。では、ガルダはいつ、なぜ国章に選ばれたのでしょうか。また、ガルダにはどんな神話があるのでしょうか。

 

ガルダとは

インド神話上の半人半鳥で、ヴィシュヌ神の乗りもの(ヴァーハナ)です。ガルダはサンスクリット(梵語)ですが、タイ語ではクルット、英語ではガルーダといいます。人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ姿で表されることが多いです。迦楼羅(かるら)として仏教にも取り入れられています。日本の興福寺にある国宝「八部衆・迦楼羅像」を見ると、確かに嘴があり、鳥であることがわかりますね。

 

ガルダにまつわる神話

インド神話によると、ガルダは聖仙カシュヤパとヴィナターの間の子で、不死の体を持つとされています。そして、蛇神ナーガの天敵です。エメラルド寺院のガルダ像もよく見るとナーガを掴んでいるのですが、次のような神話に由来しています。

カドゥルーとヴィナターの姉妹(どちらも神様です)は、二人ともカシュヤパに嫁ぎました。カドゥルーは1000個の卵を生み、500年温め、1000匹のナーガが生まれました。一方、ヴィナターは2個の卵を生み、500年温めましたが、卵は孵りませんでした。焦って1個を割ると、上半身しかない子供が出てきました(これがアルナという神です)。

ある日、姉妹は馬の色を当てる賭けをして、負けた方が勝った方の奴隷になる約束をしました。カドゥルーは本当は負けたのですが、体を黒く染めたナーガたちが馬の尾に絡みつき、馬を黒に見せるいかさまをして、ヴィナターを奴隷にしてしまいました。やがて、ヴィナターのもう1つの卵からガルダが生まれます。自力で卵を割って出てきたガルダは、たちまち巨大な鳥の姿となり、強い光を放ち、母・ヴィナターのもとへ飛んでいきます。幾多の戦いの後、ガルダはナーガたちを打ち負かし、奴隷になっていた母を解放し、蛇を常食として暮らすようになります。このように悪い企みをしたナーガを倒したので、ガルダは悪を憎む思想や美徳の象徴として崇められるようになったのです。

 

タイ国国章の歴史

ガルダが両翼を広げた姿は、ヴィシュヌ神の乗りものとしてのガルダです。この姿のガルダは、アユタヤー王朝時代(1351〜1767)から国王の象徴とされてきました。というのも王とは、インド神話ではヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)のひとつとされているからです。

近代に入り、ラーマ5世時代(在位1868〜1910)の1873年、西洋式の国章が制定されました。しかし、西洋風のエンブレムではタイで古来描かれてきたガルダの姿が損なわれてしまったので、新たな図案が作成されていきます。さまざまな図柄の検討の末、ラーマ6世時代(在位1910〜1925)の1911年、正式な国章が定められました。さらに、ラーマ9世時代(在位1946〜2016)の1946年に図柄が変更され、これが現在まで使用されています。

 

お気づきの方もいらっしゃると思いますが、正式な国章とはいえ、公文書のガルダは省庁により微妙に絵が違います。お役所の書類なのに四角四面に管理せず、ゆる〜い使い方をしているのはいかにもタイらしいですね。また、銀行などの本社ビルにガルダ像が掲げられていることがありますが、これは王室御用達の企業として認定されたことを示すマークなのです。

 

 

 

 

 

 

 

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