“置かれた場所で咲きなさい”~今のあなたはこの言葉で頑張れますか?
四季の国に生まれ育った性なのか、私個人の性格なのか、常夏の国タイに住むようになって、時々自分だけが立ち止まっているような気がしてしまいます。特に8月。「タイより暑い」なんて言っていたのも束の間、お盆後の日本の季節の移ろいに焦燥。自ら好んでタイに住んでいる私でもこう感じたりするので、もしかすると、望まぬ異動でタイにいらした方、諸手を挙げられない状態で帯同されたご家族などには、この時期に限らずタイでの暮らしで、私以上にそんな感覚にさいなまれる方がいらっしゃるかもしれません。
そんな自分の現在地について物思うときに私の頭に浮かぶのが、渡辺和子シスター著『置かれた場所で咲きなさい』(2012)。この本は、ベストセラーながら、タイトルが独り歩きし、少なくない批判にもさらされています。200万部以上も売れたのは、このタイトルに惹かれたり、内容を読んで励まされたりする方が多かったからこそ、のはずですが、タイトルを見聞きしただけで辛くなる方がいるのも想像に難くなく、このメッセージは、こころのリトマス紙のように思います。私自身も、シスターの葛藤・奮闘と併せて思い出して、さあ頑張ろう!と動き出したくなるときと、ずどーんとしんどくなるときと、その時々です。
肯定的に捉えられないときは整理が必要かもしれません。横軸に、“置かれた場所で咲きなさい”という言葉で気分が明るくなるか暗くなるか。縦軸に、その“置かれた場所”から出る選択肢があるかないか。
「気分が暗くなる」×「その場から出る選択肢が『ある』」の場合は例えば、仕事なら異動願を出したり転職したり、帯同生活なら引越・転校・遠距離家族などの検討をしてみてもいいかもしれません。
「気分が暗くなる」×「その場から出る選択肢が『ない』」の場合、その場(仕事・帯同・結婚・コミュニティ等)は、あなたの生命・健康やあなたの大切な人より優先度の高いものか、目の前の暮らしという尺度だけでなく、人生という俯瞰した尺度に照らして眺めてみてください。逃げ出そうとしたらすぐ射たれて死ぬ、というほどにそこから出ることにリスクがある状況は、なかなかないかと思います。また、その場の維持よりも自分にとって大事な対象を確認・再認識したら、その場にいることへの心理的負担も軽減される気がします。
適材適所という言葉があるように、人物の資質と場所は別の要素で、人物に問題がなくても場所が合わない、ということも多々起こりえます。人と人との化学反応のみならず、人と場所も、合えば幸福、合わなければ不幸で、“致命”的に合わないということもあります。タイ暮らしも長くなり、駐在・自営・帯同とタイにいる事情は異なれど、その場にいることで心身を病んだり、家族を残して自ら人生を閉じたりした邦人のニュースに時折触れるもので、タイの人に時々言われる「マイトン・シリアス」「マイトン・クリアッド」が沁みます。考えすぎないでね、ストレスを感じなくていいよ、と。その場で頑張るのもあり、その場とは違う場を選ぶのもあり、なのではないでしょうか。
<本記事は「パノーラ」タイ版 2024年8月号 コラム『南洋茶話』(4)を許可を得て引用・転載しております。>
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