昭和な『阿修羅のごとく』が令和の女性に見せてくれるもの
先日、NETFLIX版『阿修羅のごとく』で、私が宮沢りえさんに「相変わらずお美しくて、艶っぽい!」と見惚れていたら、いつの間にか横に来ていた娘が言い放ったのは「このおばあさん」。驚愕のあまり卒倒しかけましたが、確かに6歳児には、昭和の景色の中でアラフィフが紬を着ていたら、それは『サザエさん』のフネさん並みに、おばあさん。違う世代からの忌憚のない意見が、残酷なほどに正鵠を射て私の心にもグサッ。一瞬にして私の中に時空の歪みと主観・客観のずれがあったことを思い知らされました。
閑話休題。件の作品は、主人公となる四姉妹も名優揃いで、なおかつ昭和の名脚本家・向田邦子さんの原作を令和を代表する是枝裕和監督が手掛けたというので、内容もよく知らないまま見始めたのですが、冒頭で脱落しかけたました。とにかく、うるさい! 既視感があって余計に眩暈が……あぁ、我が家の四姉妹が集結した時と一緒。時には、本当に阿修羅のように喧々囂々(けんけんごうごう)。四女は大体「好き勝手して」と言われる奔放キャラ設定ですが、それは上の圧とうるささから逃れる自由への疾走。成人してからほぼずっと海外の私もそうです。それなのに、気づけばひき込まれ、途中ヒックヒックしゃくり上げながら最後まで観ていました。
そして、「四姉妹」について考えてみました。私が生まれた時でも日本は合計特殊出生率が2.0を切っていたので現実的には稀有なきょうだい構成です。しかし、末妹からすると、性格も人生のステージも違う同性が身近にいたことで、心身の変化に心づもりができました。また、恥も憎悪も込々の生身のレッスンがあったおかげで、早くから人生色々と思えたことや、時には道標のように見えたことも、ラッキーだったように思います。昔なら実の姉妹でなくても、まだ従姉妹や伯母/叔母、近所や友達のお姉さんなどからも多種多様なサンプルを集め、ロールモデルなり反面教師なり、はたまたライフイベントの参考なり得られていたのでしょうけどね。周囲の話を聞くと、今や女性同士の世代間交流の機会自体が乏しくなっているように感じます。元々女性が多かった職場環境であれば状況は少し違うかもしれませんが、女性が「進出した」と言われる領域では、そこで生き抜いた先輩方はライフ条件に違いがあって参考にしにくかったり、自分より上の女性はそもそもいなかったり、いつの間にか消えていたり。ワーママは増えましたが、フルタイムにせよ時短にせよ、復帰したらとにかく忙しく、なかなか落ち着いて話をする時間なんか持てなかったりもしますしね。
そんな今の日本の社会や女性を取り巻く環境を考えると、あの「四姉妹」の構図は、単なる再現ではなく、姉妹のような存在を持つことのススメにも見えました。日本の殆どの地域では、韓国の「オンニ/トンセン」やタイの「ピー/ノーン」のように、親族以外に親しみを込めて姉妹と呼び合い、相応に親しい関係を持つ文化・慣習がありません。そこで、作品の登場人物を通じて姉や妹を複数持つ感覚を多少なりとも味わい、そこでかっこ悪い姿や不始末も誰かが味方になって受け止めてくれる様子に、男手に頼れない時に身近な女同士頼り合った本能から、女性はどこか安らぎを覚えるのではないでしょうか。
皆さんの会社や周囲には何でも話せる姉妹的な関係がありますか? そんな関係を持てる機会はありますか? 令和的には、育児と両立して日々を懸命に回していたり更年期にあったりする女性たちが疲れたときに、素直に状況や心情を吐露できる姉や妹のような存在が身近に複数いるかどうかが、そんな女性たちや会社、ひいては社会の支えになるような気がします。また、帯同されている方はキャリアの断絶や停滞で悩まれる方も少なくないですが、出身も経歴も様々な方と出会う機会が多い海外で、利害関係なく、甘えられる姉や助けてあげたいと自分を奮い立たせられるような妹等、友達や先輩後輩ともまた違う存在を得て絆を深められたら、未来を照らす光明となるかもしれません。
<本記事は「パノーラ」タイ版 2025年3月号 コラム『南洋茶話』(11)を許可を得て引用・転載しております。>