戦後日本において国民的詩人と呼ばれた谷川俊太郎さんが2024年の立冬の候にお亡くなりになりました。仮にご本人の名前でピンと来なくても、谷川さんの作品は国語の教科書や子供向けの絵本、あるいは外国の児童文学や漫画の翻訳等で、日本語を母語とする方の多くがどこかで触れていると思います。
追悼の中で、各々が好きな作品が色々と紹介されていました。馴染みのある作品、初めて目にする作品と様々でしたが、谷川さんの作風としては、分かりやすくリズミカルで、やさしい言葉で人の「生」について語るのが、その主な特徴と再確認できたように思います。
そんな中で、印象に残った詩をご紹介します。漫画家・赤塚不二夫さんの『天才バカボン』とのコラボの作品です。
自分トフタリッキリデ暮ラスノダ
自分ノパンツハ自分デ洗ウノダ
自分ハ自分ヲ尊敬シテイルカラ
ソレクライナンデモナイノダ
自分ガニコニコスレバ
自分モ嬉シクナッテニコニコスルノダ
自分ガ怒ルト自分ハコワクナルノデ
スグニ自分ト仲直リスルノダ
自分ハトッテモ傷ツキヤスイカラ
自分ハ自分ニ優シクスルノダ
自分ノ言ウコトサエキイテイレバ
自分ハ自分ヲ失ウコトハナイ
自分ハ自分ガ好キデ好キデタマラナイ
自分ノタメナラ生命モ惜シクナイ
ソレホド自分ハスバラシイノダ
この「自分」は、2人いる自分を指しています。
それは、心と頭、感性と理性、素の自分と社会の中での自分等と言い換えられるかと思います。自分は自分を、尊敬していますか? 自分は自分にニコニコできているでしょうか? 自分は自分に素直に優しく接していますか? 自分は自分の言うことにちゃんと耳を傾けていますか? 自分は自分をいつくしんでいますか?
人間は社会を形成してその中で生きるもの。それゆえに、生きるために他者への気遣いが必要となり、生活の糧を得るための集団では特にその気遣い如何が生命線となることも現実。さらに、アジアでは日本でもタイでも、個人主義よりも集団主義が優位で、他者とのかかわりや他者の意識を重視する社会であることから周囲へのマナーも配慮もとても大事ですが、「生きる」上での最小単位はやはり自分自身。
日本では「自分を大切にする」「自分が好き」となると、謙遜という美学が行き過ぎて歪み、卑下や批判となって、自己中心的や自惚れといった解釈がされがちですが、他者を大切にするためにも、まず自分を見つめて自分を大切にすることが不可欠なのではないでしょうか。
後に仏陀(悟りを開いた人)となるお釈迦様(釈迦族の王子ゴーダマ・シッタールタ)が生まれたときに言ったとされる「天上天下唯我独尊」も、現代日本では、限定的・排他的に「この世で自分ただ一人が尊い」と解釈されて、「自分だけが偉いとする自惚れ」と言われたり、暴走族の特攻服や彫り物等に使われているイメージが想起されたりする傾向が強いようですが、果たして世界三大宗教の開祖が他者に対する思いやりのない傲慢な意味合いでそんな言葉を放つでしょうか。特に、不殺生を掲げて、生きとし生けるものすべての生・命を大切だと説いたお釈迦様であることを思い起こすと、「天上天下唯我独尊」の「我」は、お釈迦様独りではなく、この世に生きる私たちの一人一人と解釈する方が自然と思われます。
谷川さんの詩もお釈迦様の言葉も、個人の尊厳、〇〇だからという理由・条件抜きで、一人一人の人を各々の存在そのままに互いに大事にするために、まず自らを尊い存在として大事にしようと提唱しているように感じますが、皆さんはどう思いますか。仕事をしていて部下が増えたり、また歳を重ねて配偶者をはじめ育児や介護と家族関係においても考えることや責任が増えたりすると、ついつい周囲にばかり意識が向いて自分を見つめることが疎かになってしまうかもしれませんが、その時々でベストな判断・対処をするためにも、あらゆるマネージメントの基本として、自分の「生」も大事にしたいものです。
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