2025.03.10

企業マネジメント

タイ豆知識

日本人経営者が対処したタイ大洪水~NHK新プロジェクトXに見る闘いと学び(1/2)

日本人で2011年の大洪水を経験して今もタイにいるという方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。当時いた場所や関わりの程度等様々かと思いますが、いずれにせよもう14年前。当時の様子をご存じない方の方が圧倒的に多いことでしょう。

 

そんな中、興味深い番組が1月に放送されました。

NHK新プロジェクトX『緊急派遣5千人 日本メーカーの総力戦~タイ大洪水 国境を越えた復旧激~』 https://www.nhk.jp/p/ts/P1124VMJ6R/episode/te/JR9VGQX4GX/ 見逃した方も多いかと思いますので、今回は2回に分けて、今タイで働く私たちが記憶すべきこと、そして参考にすべきこと等を見てみたいと思います。

1.番組が伝えた2011年タイ大洪水の概要

 

  • 2011年の雨期の終盤、タイ北部を3つの台風が直撃。
  • 10月5日、黒部ダムの60倍という巨大ダム「プーミポン・ダム」の貯水量が限界に達し、1億トンの放水開始。
  • ダムの放水から5日の10月10日、今回の番組の舞台となるアユタヤのロジャナ工業団地でも浸水。洪水はわずか1日で150社を飲み込んだ。
  • 10月下旬までに他県・他工業団地を合わせて、約450の日系企業が水没。
  • 結果的に、100年に一度の洪水。被災者230万人。

補足:北から徐々にチャオプラヤー川流域を伝って洪水が南下し、数日のうちに住宅街や農耕地、工業団地、幹線道路と、ありとあらゆるものが水に浸り、ドンムアン空港の中でも1M位まで水没、最終的にBTSのモーチット駅過ぎまで洪水前線は南下しました。スクンビットをはじめとするバンコク中心部は大洪水の直接的な被害は免れましたが、スーパーでは水や米が品薄になったり家族の一時帰国が勧められたりする等、被災工業団地以外でも在住日本人に少なくない影響がありました。)

 

2.非常事態に直面した日本人経営者の思い・動き

  • 今回の番組で登場した日本人経営者

Nikonタイ現地法人社長(当時) 村石信之さん

OKI Denki→LAPIS Semiconductor現地法人社長(当時) 山田隆基さん

Pioneer現地法人社長(当時) 青柳篤さん

 

  • 未曽有の事態に直面した率直な反応

村石さんは着任して8年、山田さんは従業員に「お父さん」と呼ばれるほど慕われる名物社長、そして青柳さんは大洪水の半年前に東日本大震災を経験したという相当な厚みを持った経営者たち。しかし、そんなお三方をしてもこの洪水は当初、「唖然」、「愕然」、「もうアカン」と言わしめました。

 

  • 企業を越えた結束

しかし、そんな中、山田さんは、「自分ひとりの力ではできないだろう。仲間と支え合うしかない」と思い、村石さんと青柳さんに「政府に救援を呼びかけよう。企業を越えて結束するんだ」と呼びかけ、車に飛び乗り一路バンコクに。皆、服が水に濡れ、泥がつき、青柳さんに至っては片足裸足のままJETROを訪問し、同機構の助川成也さんに「工場が設備ごと水没していて打つ手がない」と窮状を訴え、助川さんは即座に全面支援の約束をするに至りました。

 

  • 緊急課題と大胆な解決策

当時の最優先は各企業の従業員の暮らしをどう支えるか直ちに助川さんがタイ政府に働きかけ助成金を引き出すことに成功。しかし、サプライチェーンへの影響から日本でも生産停止が連鎖、莫大な損失が出始めていました。そんな時に山田さんたちが打ち出したのは、「水没した工場の生産ラインを、重要機材とタイ人技術者約5千人をセットで一時的に日本に移すという大胆な計画。

 

  • 不可能を可能に

感電やワニといった危険を抱えた中での水没機材の回収、失踪・不法就労への懸念から「50年経っても無理だろう」と言われたほどに厳しかった日本政府の入国許可検討等、問題は山積。しかし、粘り強い交渉を経て、10月末、日本政府が日系企業の工場で勤務していたタイ人従業員に対し、条件付きで日本での就労を許可。家電・電子部品から医療機器まで約100社、5,409人の精鋭たちが日本各地に派遣され、緊急で組みあがった生産ラインと見事な技術力でメイドインジャパンの現場を復活させました。

 

僅か1か月ほどの間の目まぐるしい展開に改めて驚きを禁じえませんが、物語はまだここで終わりません。続きは、次回、困難な状況打開のカギとなったことと共に、記憶しておきたいポイントを見てみようと思います。

続編コラム:

お問い合わせ

お電話でのお問い合わせ(日本語)

受付時間 平日9:00 〜 18:00

WEBでのお問い合わせ(24時間)