2025.03.10

企業マネジメント

タイ豆知識

日本人経営者が対処したタイ大洪水~NHK新プロジェクトXに見る闘いと学び(2/2)

日本人経営者が対処したタイ大洪水~NHK新プロジェクトXに見る闘いと学び(1/2)>の続きです。

 

未曽有の事態に大きな衝撃を受けても即座に結束して泰日両政府に働きかけ、無理と思われた水没した工場の生産ラインを、重要機材とタイ人技術者約5千人をセットで一時的に日本に移す」という大胆な計画をやってのけた経営者たち。日本への移送・派遣に続いてタイでも復旧を進めます。

 

  • 成功の先の親会社の判断

大洪水から年が明けた2012年1月、水が引いたタイで復旧が始まり、各社は生産ラインを2階以上に移すなど、新たな洪水対策に追われました。そんな中、山田さんが日本の親会社から受け取ったのは、タイ工場閉鎖の決定でした。Lapisの工場は平屋建てで洪水の際逃げる場所がなく、今後の洪水対策は難しいと判断したから、という理由で。

 

  • 終わりと始まり

月末に山田さんはタイで社員を集め、それまでの感謝を述べてから、従業員を守れなかったと、頭を下げました。そして翌日には日本に飛んで派遣団にも閉鎖を伝えました。山田さんは当時を思い出し、言葉を詰まらせながら「会社を復活できなかったという敗北感がある」と言っています。しかし、閉鎖を伝える山田さんを迎えたのは、拍手と笑顔。従業員たちは、内心「第2の家」を失うことで感情が溢れ、心で泣いても、「山田さんたち経営陣が奮闘する姿をずっと見てきて、怒ったり悪く言ったりする人は一人もいなかった」というのです。しかし、そこで終わらないのが山田さん。「私は、社長はお父さんだと思う。……気持ち的に言うと、自分の子供が困ってるときにね、助けない親はいないでしょ」と、従業員にとっての第2の家を預かる父親として、希望者全員の就職先を見つけるまで奔走し続け、第2の家の子供たちが一人一人新しい道に進むのと同じように、自らも日本には戻らずタイで新たな会社に転じて、再スタートを切ったのでした。

3.大洪水から11年がたったいま、私たちが記憶しておきたいこと

いかがでしたでしょうか? 山田さんたちの闘いはドラマよりドラマティックでしたが、果たして、私たちは想像していなかった事態に直面した時に、同じように動けるでしょうか?
主人公たちが勇敢で偉大に映る分、同じ事態で全く同じように動ける自信はなかなか持てないかもしれませんが、

  • 未曽有の事態には、経験豊富な経営者たちでも啞然・愕然とし、絶望すら覚えた
  • 自分ひとりの力の限界を認め、協力を仰ぎ、企業を越えた結束で政府を動かした
  • 緊急性に鑑み、なりふり構わず迅速に動いた
  • 根底に、従業員を子のように思う心構え

という形で見てみると、思わず立ち尽くしてしまいそうになる災難に遭っても、そこで一人で抱えようとせず、悲惨なら悲惨な状況そのままに、取り繕うことなく、仲間と力を合わせて専門家に頼り、周囲を巻き込むのなら、自分にも何かできそうな気がしてくるのではないでしょうか?

また、どうしてあのように動けたかについて、山田さんは、タイで一から工場を立ち上げたという先代社長からたたき込まれたリーダーの心得『ぶどうの理論』を、それが支えになったのは間違いない、と言いながら教えてくれました。「ぶどう棚からぶどうを取ったらすぐ誰かに渡せ。そして自分の手はいつでも手ぶらにしておけ。手ぶらにしておいて有事の際に先頭に立って闘え。ひるむな。」と。

「自己責任」という言葉が跋扈するようになって久しい日本ですが、山田さんに刻まれたこの心得と実際の山田さんたちの動きは、経営者としての責任を考えるのであれば、自己だけで抱えずに、社の内外を問わず、周囲に頼ることが大事と教えてくれているような気もします。

最後に、番組の中では、度重なる困難の中で支えになったのはタイの人たちの「笑顔」「助け合う心」、そしてあるタイ人従業員の言葉から、タイの人たちが苦しい時でも「笑って闘う」ということも強調して描かれていました。大洪水は100年に一度であっても、タイにいるとクーデターや大型デモ等、5年に一度位は何かしらの緊張が走り世界中の耳目を集めるような緊急非常事態が起きますし、もとより私たちは甚大な被害を及ぼす自然災害が多い日本から来ています。このタイでの大洪水からの学びは普遍性をもって、きっとタイでも日本でも、また別の国に行ったとしても、想定外の困難を乗り越えるヒントとなるのではないでしょうか。

 

 

 

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